研究分野 | 論文タイトル | 指導教員名 | 社会動態研究分野 |
相談相手の選択からみる在日フィリピン人妻の「主体性」の一考察―在日フィリピン人妻へのインタビューを通じて― | 梶田 孝道 |
社会的シティズンシップ(社会権)の再検討-階層化原理との対応関係におけるその本質- | 渡辺 雅男 |
セキュリティの担保におけるソーシャル・キャピタルの役割 | 矢澤 修次郎 |
トランスナショナルな社会空間におけるクルド・ナショナリズムの編成-移民がもたらすクルド社会の関係性の変容- | 梶田 孝道 |
若者たちのハローワークのエスノグラフィ―行政サービス窓口の日常的な秩序構成― | 町村 敬志 |
現代社会における社会運動の変容-日本の平和運動を実例にして- | 町村 敬志 |
ナシオンか市民かフランス・ネーションフッドの普遍的コンセンサスをめぐる混乱と妥協(1981~200X)-「ライシテ法」の考察を通して- | 梶田 孝道 |
現代イギリスにおけるミドルクラスの教育戦略-高等教育経験の考察を中心に- | 渡辺 雅男 |
社会文化研究分野 |
『ドイツ・ロマン主義における芸術批判の概念』について-W.ベンヤミンの初期思想における認識の理論- | 平子 友長 |
ワイマール時代におけるクラカウアーの思想―『探偵小説論』についての試論― | 久保 哲司 |
19世紀中葉におけるアメリカ自画像-ナサニエル・ホーソーンのまなざしを通して- | 井川 ちとせ |
<表現無きもの>の二極性―ヴァルター・ベンヤミン『ドイツ悲哀劇の根源』の考察― | 平子 友長 |
内在しながら思考すること--イマヌエル・カントの批判哲学を表現に即して改めて-根源的に読解するための試論-- | 平子 友長 |
ヴェブレン『有閑階級の理論』再読―生活図式という視点から― | 嶋崎 隆 |
水循環からみる下水道の役割と限界-北京の水問題と下水道をめぐって- | 岩佐 茂 |
人間行動研究分野 |
景観をめぐる想像力、および想像力の物的基盤としての景観について | 大杉 高司 |
複数集団に所属する他者の認識-ステレオタイプ活性化における促進と抑制- | 村田 光二 |
外国人労働者の転職過程におけるネットワークの役割―タイにおけるミャンマー人労働者の事例― | 浅見 靖仁 |
においの社会学-「におい」の社会的分野化と嗅覚表象- | 安川 一 |
南アフリカにおける黒人音楽―1900年~ポストアパルトヘイト― | 大杉 高司 |
農村開発と社会関係資本-タイの村落基金を事例として- | 浅見 靖仁 |
人間・社会形成研究分野 |
政治変動と市民セクターの変容―公共利益集団の立法過程― | 加藤 哲郎 |
大学生の就業観の醸成とキャリア教育―『就職ジャーナル』にみる就職活動の変遷から探るキャリア教育のあり方― | 久冨 善之 |
沖縄返還運動における「連帯」の論理-日教組の「返還運動」と沖縄教職員会の「復帰運動」- | 加藤 哲郎 |
技術の高度化と「問題」の考察―女子体操競技の社会学的研究 | 上野 卓郎 |
沖縄における県別戦没者「慰霊碑」の建設-「静岡の塔」を中心に- | 吉田 裕 |
日本学生野球協会の成立に関する研究-学生野球の統制と自治をめぐって- | 高津 勝 |
女子の「非行」にみられる親の困難と受容―親にとっての「自己と家族の物語」、その生成と組み換えの視点から― | 久冨 善之 |
HOW TO PROMOTE GIRLS EDUCATION:GIRLS'EDUCATION IN SENEGAL PROBLEMS AND SOLUTIONS | 関 啓子 |
日中戦争期の臨時軍事費をめぐる議論-帝国議会の委員会を中心に- | 吉田 裕 |
リストカットを切り口として探る成長の条件と可能性 | 久冨 善之 |
日本の公立中学校文化-不登校経験者にはどう映ったか- | 久冨 善之 |
総合政策研究分野 |
形作業請負に関する一考察 | 倉田 良樹 |
介護保険制度におけるケアマネージャーに関する一考察―サービス事業者に対する中立性を中心にして― | 高田 一夫 |
科学技術における市民参加のメカニズムとしての産学官連帯システムの可能性 | 林 大樹 |
訪問介護労働の担い手―職業的確立に関する課題― | 依光 正哲 |
医療政策決定構造とその変化に関する一考察―中医協改革論を手掛かりとして― | 高田 一夫 |
中国都市部における中高年失業者対策の実状とその影響―上海市の実態調査から― | 高田 一夫 |
歴史社会研究分野 |
在日朝鮮人の帰還援護事業の推進 | 糟谷 憲一 |
ハワイ日本人移民の「国家」と徴兵制-近代日本とアメリカのあいだ- | 貴堂 嘉之 |
アメリカ合衆国における退役軍人政策と福祉国家的制度の展開 | 貴堂 嘉之 |
14世紀テューリンゲンにおける鞭打ち苦行運動-エアフルトを中心に- | 阪西 紀子 |
パリ地理学協会1860年代の発展―探検への支援の事例を中心に― | 森村 敏己 |
植民地期朝鮮における婚姻の制度と様相 | 糟谷 憲一 |
甲府町年寄坂田家の「家」意識-将軍年始御礼をめぐって- | 若尾 政希 |
スミソニアン航空宇宙博物館の科学展示―博物館の思想と議会と公衆― | 中野 聡 |
田原藩家老渡辺崋山の洋学研究-19世紀前半の時代像・社会像- | 若尾 政希 |
植民地期朝鮮におけるハングル普及運動-朝鮮日報・東亜日報の運動を中心に- | 糟谷 憲一 |
Propaganda and Ideology During the Japanese Occupation of the Philippines | 中野 聡 |
近代中国東北地域における移住民と農業経営-1910~1931年、朝鮮人移民との関わりを中心に- | 三谷 孝 |
論文タイトル | 指導教員名 | ラオス人民革命党政府による旧王国体制の再評価についての考察 | 落合 一泰 |
ブルデューにおける<界>概念 | 矢澤 修次郎 |
インドにおける基礎教育の見直しと遠隔教育手法活用の考察―生活の質向上のための継続的な学習を目指して― | 関 啓子 |
日本におけるフェアトレードの諸主体に関する研究 | 矢澤 修次郎 |
広島の戦後三〇年間にみる原爆被害の表象と実践-知・権力・空間- | 足羽 與志子 |
平和構築と文化的課題―現地社会の平和のとり組みをめぐって― | 伊豫谷 登士翁 |
日本人住民と外国籍住民をつなぐ学習プログラムの構造過程-新宿区の事例から- | 関 啓子 |
ニューカマーの子どもと日本の社会-オルタナティブな場の持つ意味と機能から- | 関 啓子 |
デンマークにおけるホイスコーレの過去と現在―オルタナティブ教育であり続けることへの挑戦― | 関 啓子 |
フィリピンのムスリム社会におけるイスラーム教育の持続と変容 | 関 啓子 |
マイノリティがつくる商業映画―アジア系アメリカ人映画の二つの課題― | 関 啓子 |
南北キプロス消えざる分断線―和解と再統合は可能か?― | 内藤 正典 |
南太平洋地域の移民と「移民コミュニティー」―送金の持続性を問う― | 児玉谷 史朗 |
身体の監視と管理-身体の位置づけの変容をめぐって- | 伊豫谷 登士翁 |
地方なき国家主義批判-アルゼンチンにおける『第三世界のための司祭運動』(1968-1973)の問題提起から- | 落合 一泰 |
19世紀メキシコの国家建設と絵画運動―ヨーロッパの視線とメキシコの風景― | 落合 一泰 |
「生活の質」の理論と職業家庭両立政策における実践 | 矢澤 修次郎 |
現代日本における男性セクシュアリティの考察―雑誌記事を分析対象として― | 宮地 尚子 |
遺骨と記憶-北海道朱鞠内における遺骨掘り起こし運動- | 伊豫谷 登士翁 |
韓・日のテレビ放送におけるイスラーム報道の検証 | 内藤 正典 |
観光を通じて表象される「貧困」―モンゴルにおけるストリート・チルドレンの実態を事例として― | 伊豫谷 登士翁 |
マイグラント的風景-日系ペルー人芸術家の実践を通して- | 落合 一泰 |
統治と帰属-アイヌ文化復興のポリティクスについて- | 伊豫谷 登士翁 |